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2011年3月

2011年3月31日 (木)

福知山線(2)

伊丹のホームで帰りの電車を待っていたら、下り線を183系がすっとんで行った。
後で調べたら特急「こうのとり15号(3015M)」で城崎温泉行であった。(構えて撮ることが出来ないので、下世話な表現で恐縮だが、何時もおかまを掘ることになる)

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2011年3月30日 (水)

福知山線(1)

昨日、所用で福知山線の伊丹まで行ってきた、この線、中山寺から広野までは単線(非電化)時代に何度か利用した事があったが、大阪からの利用は実に40年振りのことである。
先の事故現場を通過するとき速度制限は60Km/hであったが運転席の速度計は50Km/hを示していた。
この路線、尼崎から伊丹の間は急なカーブが何ヶ所もあり、線路勾配が短い距離で何度もアップタ゜ウンを繰り返していた。
(画像は帰りに乗った快速大阪行3772M先頭車クモハ223である)

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2011年3月29日 (火)

あずさ10号

韮崎の眼科に行く為、長坂のホームに立っていたら「あずさ10号(60M)」が通過していった、今日は出張この稿が発表される頃には「のぞみ」に乗って一路新大阪へむかっているでしょう。(どうでもいいか)

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2011年3月28日 (月)

一部運転

長い間、休止状態であった小海線が本日より小淵沢~小諸間で朝夕の一部列車が運用されている、
昼間も運転されないとプチ家出が出来ない。(被災地のことを思うと贅沢は言えないか)
画像は甲斐大泉であるが運転再開とは関係ない。

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2011年3月27日 (日)

今回の震災で最後に無事が知らされた、ご本人から昨日ボードに書き込みがあった、前向きな文章で器の大きさが伺える、行間から感じられるのは想像を絶する災害で、元にもどすには時間の予測が付かない様である。
小椋桂の古い歌に「時」と言うのがある、三番の終いの方に(note時はもとに戻れないとだれが決めたのですか)とある、本当に誰が決めたのでしょうか、自然の摂理を変更する事は無理なことは分っているが、時間を戻して充分な備えをする事は出来ないものであろうか、誠に残念である。(画像は、同じく震禍にあわれたDFさん制作の古典貨車である、秀逸の出来である)

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2011年3月26日 (土)

名残雪か

被災地に雪が舞っているニュースがよく流れる、この季節に舞う雪はとにかく寒い、彼岸も過ぎたのに季候までも悪さをするのか。
この稿を書いている今も風花が舞っている、名残雪なら我慢も出来るが。(添付は昨日16時頃と今朝の様子)

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2011年3月25日 (金)

都電荒川線(4)

京成、町屋駅のガードを潜る三ノ輪橋行、(早稲田行の車窓から)

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2011年3月24日 (木)

物資輸送(2)

日本海まわりの貨物列車のことが気になったので調べてみた、
3月で運用停止予定のEF81初期車が運用継続との事、また門司区からEF81303,304が富山入りするとのことである。この際DE10やDD51も元気なものは予備機として準備したらどうか。
(画像はMogulさん提供の身延線のEF10が牽く貨物列車)

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2011年3月23日 (水)

都電荒川線(3)

三ノ輪橋へ行く途中すれ違った8000形

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2011年3月22日 (火)

小屋根

古民家(農家)で屋敷の屋根の上に通気用の屋根が乗っかっているが、これを小屋根と云う。
養蚕用の換気と採光、囲炉裏の換気用などに使用される、最近は養蚕農家はほとんどなくなったので、外観状は見受けられても実際には天井などで塞がれている。
画像は名主屋敷の囲炉裏用のものを内側から撮ったものである。

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2011年3月21日 (月)

超アナログ

名主屋敷の米蔵を覗いたら、長持ちの上に鎮座していた、籾殻などを吹き飛ばしたのだろうか、丁稚さんが一生懸命回している姿が眼に浮ぶ。

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2011年3月20日 (日)

物資輸送

物資の大量輸送は船舶か鉄道である、岸壁の整備も進み、鉄道貨物(タンク車)も日本海廻りで届いたとのこと、ちょっと安心した、一過性の行動でなく継続する事を願う。
画像は懐かしい身延線のED177の牽く貨物列車である、40年(?)前までは機関車がSLやDLに代わっても日本中何処え行っても見られた風景である。(Mogulさん提供)

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2011年3月19日 (土)

停電

夜、停電になると何も出来ない、するとすれば読書くらいである、懐中電灯はスポットだし、ローソクは何処も売切れだし、う~ん困った。
ライブ機関車用のバッテリーが有るので12V球でスタンドを作った、台は桧を輪切り、鞘の部位は”りょーぶ”の木で、電球は二輪車のヘッドランプ(30W)である。
端部にφ8の穴を開け、ダボはφ8の真鍮棒でエポキシで接着している、ソケット部はφ15なので旋盤で中グリをした、コードは半田付けである。笠をどうしょうか考え中である。(バイク屋Nさんの指導を受けた、さんきゅうべりまっち)

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2011年3月18日 (金)

踏切?

停電の影響で小淵沢-小海間の運転見合せが続いている、なんでも停電になると踏切はバーが下りたままになるらしい、小海線の踏切はご覧の様にバーが取り外されていた、静かと言うかちょっと淋しい(甲斐小泉から小淵沢寄りの2つ目の踏切を正午ころ撮影)
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2011年3月17日 (木)

Fight

震禍に遭われた知人の消息が気にかかり、本稿を休止していたが、
先程、最後のお一人の無事が確認された。(うん、よかった)
何も出来ないので、明日は義援金のカンパに役場に行こう。
画像は関西から来た身延線のクモハ51で未だ茶色のままで妻の窓がHゴムに改造されている(断面がHの字に似ているので通称Hゴムと呼ぶ、電機屋さんや機械屋さんは差込ゴムと言っている)
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2011年3月13日 (日)

しょうそく

3名の方の無事が確認された、情報が少なく心配している。
(画像は1971年3月の身延線クハ47)Mogulさん提供
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2011年3月12日 (土)

なんで

宮城、福島には知己の知人が多数おられる、情報が少なく心配している、無事で居る事を祈ります。
昨日は地震発生直後から今朝まで停電した。
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2011年3月11日 (金)

タム3200

A社のキットを組立たものです、ハッチの寸法(嵌合)が合わず、挽き出した記憶があります。
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2011年3月10日 (木)

都電荒川線(2)

荒川区役所前付近を走る都電より撮ったスカイツリーです、隣に座ったご婦人に教わりました。
(撮影は3月3日)
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2011年3月 9日 (水)

都電荒川線(1)

荒川線に乗って「三ノ輪橋」へ行ってきた、ホーム(出発)は、近年レトロ風にリニューアルしたとの事であるが、何かちぐはぐな印象を受けた、(柱のランプの金具が赤[銅Cu]で出来ていた以前からのものか?、新しく取付けた物か定かでは無いが唯一レトロな雰囲気に見受けられた)Photo


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2011年3月 8日 (火)

ガード下の壁画

JR常磐線「南千住第2三ノ輪ガード」の壁に描かれている壁画に感心した、なんでも2010年12月に荒川区の美化運動に協賛して東京芸大大学院のOBグループが描いたとのことである、これだとゴミの投棄も無くなるし、普通の神経なら落書きも出来ない。(費用が結構掛かったそうだ)Photo


2011年3月 7日 (月)

困ったな~

朝、カーテンを開けたら、いちめん真っ白
今も降り続いている、今日は午後から買出しを
予定している、できるかな~Img_1411_1


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2011年3月 6日 (日)

80系300番代

静岡のK模型のペーパーキットを組んだものです、クハのライト切替はセレンを使いヘッドライト、テールライト共12V球を使用しています、伝動はモハの1輌にDV18を搭載しインサイドギァーで昔のスタンダード(?)です。(造った時期も忘れた代物で、経年変化による表面の凹凸が目立ちますが良しとしましょうか)

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2011年3月 5日 (土)

小さな力持ち

小さな部品の穴あけ用のミニバイスを造った。寸法は巾2.5cm高さ1.9cm長さ5cm、口金に1mmの段を付けたところがみそである、この段に部品を乗せ締付けて加工する。(加工方法は参考にならないので省略)云い忘れたこの様な構造のものをヤンキーバイスと呼ぶ。

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2011年3月 4日 (金)

アメリカ橋

正式には「恵比寿南橋」と言う、鉄道作業局が1906年(明治39年)架設した山手線を跨ぐ、跨線橋である、現在のものは1970年(昭和45年)に改築されたものだそうだ。昨日鋳鉄製のメイカープレートにお目にかかった。(noteアメリカ橋のたもと、黄昏が間近い ・ ・ ・ 遠い遠いかえらない青春)2番の終わりころの歌詞である、管理人は今でも青春まっしぐらである。

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2011年3月 3日 (木)

〇キロポスト

品川駅、一番線の〇キロポストを見つけました、云うまでも無くこれは山手線のものです、起点表示は解るのですが最終ポストは何処に在るのでしょうか?(エンドレスなので)

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2011年3月 1日 (火)

飯田線(むたび)

1972年(昭和47年)2月の撮影とのことで、2月中に記事とすべきだったが、ついウッカリして1日遅れた、画像はクモハ42+クモハ50+クハユニ56の3連である。(そう云えば昔ウッカリさん、チャッカリさんと言うのが有った小説だったか、ドラマだったか?)

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