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2010年8月

2010年8月31日 (火)

シングルドライバー

以前、大津線の70もどきを紹介しましたが、同時に作ったシングルドライバーです、当初客車はトレーラーでしたが台車を奮発してボギーとしました、ところが動輪にウエイトが掛からず空転して前に進みません、元に戻す元気もなくただ飾っているだけです。(機関車は縦型ボイラーのスクラッチですが客車はカツミのコロハのモニタールーフ部分を利用したものです)Photo

2010年8月30日 (月)

飛行機雲

当地の上空は飛行機の航路になっているみたいで飛行機雲は珍しい事ではないが、自衛隊機が通過すると航跡がクロスすることがある。鉄道や道路には上り下りの区別があるが旅客機にもあるのだろうか、それとも東西南北で表すのかな?(飛行機雲は別名航跡雲と云うそうだ)

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2010年8月29日 (日)

キハ40(山口線)

今では、珍しくなった国鉄色のキハ40です、この地方は石州瓦屋根の建物が多く、ちょっと大袈裟ですが里を走っているとき高地から見ると車輌が目立たなくなります。(提供はMogulさんです、感謝々々)

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2010年8月28日 (土)

茅ケ岳眺望

小屋の東側にある森を抜けると、隣の中村区にでます、稲の育ちも順調で例年より大きい穂がついています。中央の山が「茅ケ岳」です。(百名山の深田久弥、終焉の地です。茅ケ岳は百名山には入っていません)

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2010年8月27日 (金)

E233

日野春駅で友人を待っていたら、疾風の様に通過していった列車があったので、急いで撮ってみた、E257系だと思い込んでいたら、後で画像を確認してもらったところE233系であると教えてもらった。(何の為なのか何処行くのかサッパリ不明である)

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2010年8月26日 (木)

夢のあと

山口線「篠目駅」の給水搭です「篠目駅」は1917年(大正6年)の開業で一年後には途中駅となっています、この駅にどちらかと云えば大型の給水搭を設けたのは何か訳があるのでしょうか、現状は給水タンクはありませんが昔は随分と賑やかだった事が伺えます。(画像は複数いただいているので機会があれば紹介します)

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2010年8月25日 (水)

C12 5

韮崎の中央公園に鎮座しているC125です、韮崎に来る前は甲府で保存していました。履歴は1933年(昭和8年)宇都宮に配属、1970年(昭和45年)甲府で廃車になっています。Photo Photo_2

2010年8月24日 (火)

9061M

土日運転の185系「はまかいじ」(9061M)です、以前修善寺行の「おどり子」に乗ったことを思い出しました。

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小淵沢1番線に入線(到着)の様子

Photo_2 長野へ向けて出発した様子(袴線橋は小海線ホームへのものです)

2010年8月23日 (月)

C57190

機関庫で憩うMogulさん所有のC57190(4次形)です、同じC57でも1次形とは趣きが異なります。実機は1947年に三菱・三原で誕生しており、門司とか浜田等を転置しながら最後は梅小路で1971年6月に廃車になっています。(梅小路では一時期集煙装置を付けた事があるそうです)Photo

2010年8月22日 (日)

さるすべり

忘れ物を思い出したので、Maroさんちを訪ねました、名主屋敷の庭に「百日紅」がピンク色の花をいっぱい付けていました、美しさに誘われて、ついパチリ。立秋を過ぎていますので夏の季語である「百日紅」を紹介するのはタイミングが悪いのですが、残暑見舞いとして下さい。(「炎天の 地上花あり 百日紅」虚子)

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2010年8月21日 (土)

走行試験

今日(20日)はデキの走行テストを実施しました、考えていたよりモーターの性能が良く6VX4で庭の線路ではトップ・スピードになります、問題点がクリャーになりましたので、本格的なコントローラーの製作に掛かります、運転台車を急がなくてはなりません。(バイク屋Nさんにバンザイ)

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2010年8月20日 (金)

机上試験

デキの机上試験に成功、今日は線路上で走行テストを実施します。(取合えず”乾杯”)Photo_3

2010年8月19日 (木)

533M

長坂駅は跨線橋と平行に歩道橋があるのですが、丁度到着した533M(長坂着12:59)を俯瞰的に撮ってみました。(塗装後間もないのか、洗車が行き届いているのかオデコがテカテカしています)

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2010年8月18日 (水)

富士の御来光(その二)

山岳信仰で言う「御来光」には、日の出と共に被写体の背後から陽が差したとき被写体の影の周りに阿弥陀仏の「こうりん」の様に光の環が現れることも表現する様である。(この気象現象を広義ではブロッケン現象と呼ぶそうである)、以前、アメリカの学者が”五次元が存在する”というニュースを聞いたことがあるが、ひょっとしたら、刹那に感じることでは、ないだろうか。(提供してもらった画像は今年のものである)

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2010年8月17日 (火)

富士の御来光(その一)

6月に「お遍路」の稿で紹介したAboちゃんから富士山頂からの画像を提供してもらった、山岳用語辞典によると「御来光」とは「山上で望む日の出のこと」とある、雲海の彼方から昇る陽は異次元の輝きを感じる。(画像は昨年のものである、今年のものも届いているので明日の記事とする)Caqdd44z_1

2010年8月16日 (月)

立川機関区

懐かしい立川機関庫で休むEF1024とED16の画像(フイルム写真)をMogulさんより頂きました、機関庫は西国立駅(南武線)に隣接してあった為、カテゴリーに悩みましたがEF10やEF13も在籍していたので無理矢理、中央本線にしました。管理人は立川駅で下車したのは1967年に1度しかなく、田舎者でELに関しては無知な状態で機関庫の所在も知りませんでした、1975年頃までは庫内見学が可能であったとのことで残念でなりません。(因みに、立川駅での下車は自衛隊の風洞試験装置の保守立会いのためでした)

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2010年8月15日 (日)

竿の先

小屋の東側の棚田に、鹿よけのフエンスが張り巡らています、その支柱の先に行儀良く”とんぼ”が止まっています、まだ山から下りてきて間が無いので赤く染まっていませんが、チョット先撮りしました。(notes夕焼け小焼けの赤とんぼ止っているよ竿のさ~き)

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2010年8月14日 (土)

終いの蕨

例年なら遅くても7月中旬で終わりなのですが、今年は何を勘違いしたか8月になっても「わらび」が採れました。春先の早蕨と違い肉が薄いのですが灰汁抜きを充分行えば柔らかく食べれます。(小屋の隣の空地にて)

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2010年8月13日 (金)

ツーショット

クハ115(スカ色)とE351(スーパーあずさ)のツーショットです、(於、小淵沢駅2、3番線)_1

2010年8月12日 (木)

スハ33901

だいぶ前に京都の「松本模型」から発売されていた、ペーパー・キットを組立てたものです、何故か1輌だけしかありません、買った動機も忘れました、まるで管理人のようです。(価格は¥140だったか¥240だったか?)

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2010年8月11日 (水)

収穫(トマト&キュウリ)

庭の菜園でトマトとキュウリが最後の収穫となりました、天候不順でトマトが7つキュウリが4本でした、(味は上等でしたが)

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2010年8月10日 (火)

C56144

「小諸駅」で発車待ちのC56144の画像(フイルム写真)を頂きました。1972年の夏に信越線の急行列車から撮ったそうです、ホーム上の台車に腰掛けているのは機関士でしょうか何か”ほのぼの”とした雰囲気があります。(本機は1973年1月10日に「中込区」で廃車になっていますので、撮影の5ヶ月後になります)今は「小諸の懐古園」に保存されています。B_1

2010年8月 9日 (月)

千葉の113系

スカ色と湘南色(東海色)のクハ113系です、Mollさんから頂きました。良く見ると当地を走る「豊田区」の115系スカ色と前面のマスキングが異なります。(千葉の113はVですが中央線の115はUになっています)

Photo_2 Photo_3  成東行

2010年8月 8日 (日)

八月の富士

昼間は30゜Cまで上がりますが、最低気温は20゜Cを切ることがあります、油断すると夏風邪が襲撃してきます。

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2010年8月 7日 (土)

モニ53001

ペーパー製のキットを組立てたものです、床板を見ると’81.10.1(昭和56年)と書かれていました。実車は焼失した木製のモニ13020を鷹取工場で1937年に鋼製化したものです、非貫通で両運転、ベンチレーターはガラベンで一生を近畿地方で終わったそうです。

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2010年8月 6日 (金)

夕凪の街

1969年1月から1973年3月まで広島に居住していた、出勤しようとネクタイを結んでいたら屋外が急に騒がしくなり(自動車のクラクション、学校のサイレン、寺の半鐘等)、何事か?と少し驚いた、時計を見たら8時15分を指していた、何の抵抗もなく知らぬ間に黙祷をしていた事を憶えている。子供の頃集団での映画鑑賞が度々あったが「原爆の子」は記憶にあたらしい(パパ、ママ、ピカドンでハングリー)。2007年に上映された「夕凪の街、桜の国」も原爆症を扱ったものである、DVDを見る度に新しい涙が頬を濡らす。余談だが広島の夕凪は俗に言うベタ凪で鳥も虫も息をひそめる。(これと言った画像もないので見合わせようと思ったが、DVDのパンフレットとからワンカットを失敬して載せることにした)

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2010年8月 5日 (木)

3日目

二泊目は「野辺山」駅近くの”野辺山高原ホテル”(現在も営業している)、当時の駅舎は木造の切妻造りで二代目のものであった、駅前にR141が通っていて、現在のバイパス道路は広々とした草原であった、丁度、現役を引退したC5696が寝台車をしたがえてSLホテルとして営業を開始していた。長くなるので省略するが「清里」も「野辺山」も活気があった様な記憶がある。帰りは「韮崎」からR52で下り?、「清水」で東名にのり「宝塚」まで帰った。(野辺山~宝塚、距離610Km)Photo

信濃川上の給水搭(バルブが取られている)Photo_2

千曲川(川上村)の川原で洗車をしたPhoto_3

2010年8月 4日 (水)

1975年8月3日

昨日の続きである、2日目は「塩尻」でR19と別れてR20(甲州街道)に入り、「茅野」からR299の麦草峠で一服して「八千穂」からR141(佐久往還)を走って「野辺山」に到着した。Photo

スケッチは35年前の”麦草ヒュッテ”Photo_2

途中立ち寄ってお茶をした”八ヶ岳高原ヒユッテ”(1975年頃は周りの樹木は無く広々としていた)スケッチは5年程まえのものである。

2010年8月 3日 (火)

追憶1975年

35年前の8月に信州を紀行したことがある、1日目(2日)は宝塚から高速に乗り、吹田、小牧経由で中津川からR19(中山道)に降りた、途中何度目かの「妻籠」を見物して「木曽福島」の駅前のSLをみて、木曾駒高原のペンションに一泊した。記録が残っていないので、数年後に「木曾御岳」に登ったときに八合目当りからスケッチした「中央アルプス」を添付する(富士山がチョコット頭を出している)

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2010年8月 2日 (月)

合歓の花

小屋から数分歩いたところに「沢入り」と称する小川があります、川を覆うように「合歓の花」咲いています。「休らへば、合歓の花散る、木陰かな」虚子

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2010年8月 1日 (日)

19678

常磐線「高萩」での、19678(形式9600の179号機)の画像(フイルム写真)を頂いた。撮影は1970年2月とのことですが、本機は1970年4月9日「平区」では廃車とのことですからギリギリセーフだったことになります。「高萩」までは1962年に交流電化されていますが貨物列車はこの年までSLが牽引していたのでしょうか。この96ランボードが直線タイプで管理人の好きなタイプです。(常磐線の思い出は.幾つか有るのですが、又の機会にします、画像の提供はMogulさんです)

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