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2010年4月

2010年4月30日 (金)

山桜

藤沢周平の短編に「山桜」がある、一昨年映画化されているのでご存知の方も多いと思う。ストーリーは割愛するが、二十頁足らずの小説を映画化するのには脚本家の苦労は思考の外に有る様な気がした。一言で云うと、寡黙で映像による季節の推移が際立った秀作であった。当地も「山桜」の季節が遅ればせながらやって来た。個人的には控えめな可憐さが好もしい。(当地に山篭りして今日でまる七年になった)

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2010年4月29日 (木)

境川橋梁と大門川橋梁(2)

清里寄りにあるのが「大門沢橋梁」です、昔、旧道から多くの人が撮影したのは、橋脚の形状からみて「境川橋梁」とおもわれます。「大門川」はすぐに「境川」を吸収して下流で「須玉川」に合流して「塩川」→「釜無川」→「富士川」となり駿河湾に流れています。地元では「白州」の「尾白川」を源流としていますが、「釜無川」は富士見にもながれていますし、諏訪湖からも幾筋か流れこんでいますので定かではありのせん。

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2010年4月28日 (水)

境川橋梁と大門川橋梁(1)

「境川」とは県境(長野県と山梨県)を流れる沢です、100m弱清里よりに流れるのが「大門川」ですが4~500m下流で「大門川」に合流します。今日は「境川橋梁」を紹介します昨年訪問した時はデッキガーターは赤色でしたが今は鮮やかな青色になっていました。

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2010年4月27日 (火)

京急

初めて上京したのは昭和34年(1959)2月である、途中「宇高連絡船」で乗り替えたが片道23時間30分かかって朝早く「品川」で下車した、すぐに”京急”に乗車し「京浜蒲田」で乗り換え”穴森線”の「大鳥居」で下車し、就職先のポンプメーカーまで行った。その後勤め先を2度替えたが背伸びしながら51年が過ぎた。現在「岡山」での乗り換え時間を入れても8時間20分で帰郷することが出来る。隔世の感がある。(画像はCitrus君の提供である)

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2010年4月26日 (月)

230D

昨日の続きです、ハイブリットを待っている間に(上り、「小淵沢行」230D、キハ111)が通り過ぎていました。

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2010年4月25日 (日)

太公望

地図をみていると、”甲斐大泉”-”清里間”を流れる川俣東沢渓谷の「吐竜の滝」の手前に橋梁があるのが目に付いた、天気に誘われて訪ねてみました。始めは橋脚から眺めていたのですが、線路まで上れそうなので意を決して登ったところ先客が2人おり聞いてみたら、下りのハイブリットが来るとの事で相伴する事にしたのですが40分を過ぎても顔を見せない、その時気が付いたのが「鉄ちゃん」は釣りをするのに似ているということです。(画像は下り小諸行き”229D”「キハE200」)Photo Photo_2 Photo_3

2010年4月24日 (土)

糸まき車

中村区の”S君”と横針区の”T君”(共に新五年生)が寄り道をしていった。フラットカー用のトラックを力いっぱい転がして、どちらが遠くまで走るかを飽きもせず遊んでいた。それを眺めて遠い昔、小学生の頃「糸巻車」を作って近所の友達と競争したことを思い出した、「糸巻」の外周にわざと歯車の様に切り込みを入れて「戦車」だと言って楽しんだ記憶がある。(輪ゴムが普及していなかった頃であった、ゴム紐を調達するのが大変だった)

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2010年4月23日 (金)

みどり湖

小屋から歩いて数分のところに、"みどり湖"(灌漑用溜池)があります、”ソメイヨシノ”が満開になりました。山桜は未だ々です、例年なら同時に咲き始めるのですが、林の向うの山が”八ヶ岳”です。

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2010年4月22日 (木)

沼尻DC12

キットを組立たものです、キャブインテリアとドァー開閉、配管のデテールアップを行っています。

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2010年4月21日 (水)

クハ115(スカ色)

「小淵沢駅」の3番線に待機する、スカ色クハ115です、上り「高尾」行き546Mになります。Photo

2010年4月20日 (火)

信濃境駅

中央本線が長野に入り一つ目の駅が「信濃境駅」です、開業は昭和3年(1928)で駅前に”開業記念碑”があります、駅本屋はサイジング壁になったり、サッシュ窓になっていますが基本は開業時のままです。個人的には車寄せの破風の勾配が3寸なのが気に成ります、せめて4寸あればデザイン的に落着くのですが、模型化する場合は破風をやめて庇のまゝの方がスッキリします。近くに縄文時代の「井戸尻遺跡」があり、7、8月の古代ハス(大賀ハス)のころは結構賑わうそうです。

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2010年4月19日 (月)

哀しい事

小屋の前の空地に今年も”つくし”が顔をだした、20数年前のことであるが「二子多摩川」に「土筆亭」という割烹料理屋があった?(ある)、土筆という字が読めなくて、訊ねてみた、3~4人が声を合わせて教えてくれた。知らなかったのは訪ねた本人だけであった。それ以降、読み間違うことはない。(その時思った教養がないということは哀しい事だ)

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2010年4月18日 (日)

ED1727

車体は”模型社”のエッチング板に”アダチ”のペンチレーター、台枠は”つぼみ”のものを大改造、伝動はインサイドギァー、パンタは”天賞堂”のPS14です。鉄(SS)のブロックを積んでいますので、総重量は(475g)、”いさみや”のソルダーペイントとバーナーで組立ました、数少ないELの1台です。

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2010年4月17日 (土)

不思議の解明

昨日の続きである、気に成ったので調べてみた、「乗越分岐器」と云うそうだ、手動と電動とがあり、分岐側のレールをフランジの高さ分上昇させ本線レールを乗り越えて側線へ移動さすらしい、「鉄ちゃん」ならともかく「16番モデラー」には余り関係のない事であった。夕方から降りだしたベタ雪は5cmほど積った。(これは”なごり雪”ではない、広島弁で云う”ハブケた雪”だ)Photo

取材中、通り過ぎた4053M(E257千葉発、南小谷行”あずさ3号”)Img_0236_1

2010年4月16日 (金)

不思議

長坂駅の近くに工事車輌を留置するための側線が3本あります、添付画像のように先端軌条もなければフログもありません(勿論、転轍機もありません)。この装置はいったい何でしょう?、不思議でなりません。(線路はシーナリーかな?)

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2010年4月15日 (木)

逸見黒源太清光

源義光(新羅三郎)の次男、武田冠者源義清と息子の清光親子は”常陸の国那珂郡武田郷”より”甲斐の国”に配流されました、清光は峡北に勢力を伸ばし、地名である逸見冠者黒源太清光と名乗り、逸見に「谷戸城」を築きました、墓は「清光寺」にあります。(因みに、清光の子武田太郎信義が「韮崎」に館を移し、武田の初代となり、武田晴信(信玄)は16代とのことです。「谷戸城」の”ソメイヨシノ”と「清光寺」の”シダレ桜”を添付します。

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2010年4月14日 (水)

城端駅

ちょうと前の事ですが、小矢部で”ライブ”の運転会に参加したことがありました、現地集合だったのですが、大分早く到着したため時間を持て余し地図をたよりに「城端駅」を訪ねました。金沢?の僧侶で高校教諭の方が”TMS”に発表されていますのでご存知のかたも沢山おられると思います、開業は1897(明治30年)で、駅舎も当時のままです。今は閑散としていますが、昔は賑わったろうと伺える雰囲気がありました。

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2010年4月13日 (火)

出雲坂根

広島から芸備線経由で木次線の三井野原へスキーに行った事が数回ある、ファミリーゲレンデで楽しく遊べた記憶がある、遥か下の方に木次線がありC56がワフを従えて走っていた(多分定期貨物だろう)、帰りは込み合うのを避けるため次の駅「坂根」まで滑って降りた。旅客はヂィーゼル化されており、三段式のスイッチバックをすぎ備後落合で向きを変えて広島まで帰った。小淵沢の小学校に”C56126”が保存されている、1975年に浜田区で廃車とある、浜田所属のSLが木次線を走ったかどうか定かではない。(人生、未だに”スベッタリ””ころんだり”である)Photo_3

2010年4月12日 (月)

お神楽

散歩をしていました、林の小道を抜けるところで笛と太鼓の音が近くの諏訪神社の方から聞こえて来ました。話には聞いていたのですが、偶然が重なって(思い立った散歩、コース等)観覧することができました。

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2010年4月11日 (日)

転轍小屋

郷里の機関庫の傍で見つけた、転轍小屋です(今は使用されていません)、妻面が将棋の駒の様な形をしていたのが気に入り、スケッチしてきました。桁や垂木を省略して軽工作でつくれるでしょう。塗装はオイルステンを薄く溶いて筆塗り、屋根はハンブロールかパクトラのマットブラックを塗って錆色でウエザリングは如何でしょう。

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2010年4月10日 (土)

ひょうたん桜

ma兄ちゃんより、仁淀川(高知)にある「ひょうたん桜」の画像が届いた。”つぼみ”の形が「ひょうたん」に似ていることから付けられたネーミングだそうだ。付け方が子規の写生句に通ずるものがある。樹齢約五百年、根回り8mとのことである。調べたところによると学名を「ウバヒガン」と云う。(ひさご酒で一杯やりたいなぁ!)

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2010年4月 9日 (金)

9592M,9383M

信濃境駅を通過(回送)する215系、次の小淵沢始発の「ホリデー快速”ビューやまなし」となります、列車番号は小淵沢、新宿間が9592M、新宿、千葉間が9383Mとなります。

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2010年4月 8日 (木)

288D

小淵沢の大築堤を行く288D(上り小淵沢行きキハ110)です、これはRの外側から撮影したものです、エンジン音がきこえてからフッインダーをかまえても良いアングルを撮るのは難しいものです、(鉄ちゃんなら上手に撮れるのでしょう)、次回は時間を合わせてチャレンジしてみます。画像の右方向が小淵沢です。

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2010年4月 7日 (水)

残念

昨晩、同好のメッセージボードで、福岡のT先輩の逝去を知った、笑顔で話す博多弁が忘れられない。デプリカではあるが”つぼみ”の「Bタンク」を献じて悔やみとする(久し振りに一杯やろう)Img_0174_1

2010年4月 6日 (火)

大糸桜

一昨日、小淵沢の神田の大糸桜を観てきました、現在、樹勢回復治療中で幹部分に養生がされており、防風ネットが張られています、又、枝振りも以前の様子は見られませんでした。それでも”蕾”は充分に膨らんでいるようです。曇りでしたが5年前のものと一昨日の画像を添付します、この枝垂桜は樹齢400年、「昔の優雅な姿に戻るよう祈ります」

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2010年4月 5日 (月)

EF1024

Mogul JMさん組立のEF1024を紹介します、リポートによりますと実機は関門トンネル用に車体がSUSで造られており無塗装のままEF30に取って代わられるまで使用されたそうです、その後、関東に移籍し茶の7号に塗られたとのことでした。中央線では里線(八王子まで)での使用で、ひと時身延線に投入されましたが、最後は飯田線で廃車とのことです。モデルは妻の繋ぎ目も目立たず、しっかり組み立てられています、ホッパー車20両位引かすと壮観でしょう。

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2010年4月 4日 (日)

火ノ見櫓

当地には行政区が存在します(都市部で云う町内会”自冶会”の様なものですが少し違います、昔の村落の落の部分が区になっており”講”が加味されています)。その区には”公民館”と”火ノ見櫓”が必ず付随しています、その中でチョット特異なものがありましたので紹介します。寸法採りをしましたので参考までに添付します、小型のレイアウトに如何でしょう。

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2010年4月 3日 (土)

やっと満開

庭の梅の花が満開になりました、例年より少し早い様な気がします、6月20日過ぎに2.5~3cmの青梅が実ります、無農薬ですから収穫時が遅れると虫がつく恐れがあります。梅酒を造りますのでその時又、便りをします。昨日の夕方、今年初めて「鶯」の鳴き声を耳にしました。「画像は一週間程前のものですから7~8分咲です」

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2010年4月 2日 (金)

8255D

甲斐小泉を発車する8255D(キハ110、臨時下り”野辺山”行)乗車人数は車輌の影で不明、降車人数は5名でした。この駅のホームは、斜交いに設置されています、何か理由が有るのでしょうか?。

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2010年4月 1日 (木)

リーダース・ダイジェスト

高校生の時であるが、図書室の棚に在った”リーダース・ダイジェスト”誌をめくっていると「モンカル」と「バイン・コーン・バレイ・ブランチ」の記事が目に飛び込んできた、声には出さなかったが、思わず”がいやなあ”と叫んだ。未知の世界を見た感じがした。”TMS”の存在も知らなかった頃である。(”がいやなあ”は”すごいなあ”と同意語である)

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